目次
深澤製餡所の始まりのお話
先日の説明会の時、弊社の創業から何年なのかってことをスタッフが話しているのを聞いていて、もうそんなになるんだなぁ~って、ボクで三代目になるのですが、何で餡子屋さんになったのか。そんなことを今年入社する新人さんにも伝えたくて書いてみました。
深澤製餡所の始まり 創業大正14年
大正から昭和に変わる時代に、初代の卯之助が静岡県清水市から栃木県栃木市に深澤製餡所を創業しました。卯之助が26歳の年だったみたいです。多分(笑)
8人兄弟の5番目、兄弟も多く、昔は口減らしと言い、家にいると食べ物がたくさん必要になると言うことで、15歳もしくは、16歳だったと思うのですが、(小さな頃の記憶なので)東京で大八車で荷物を運ぶ仕事をしていたらしいです。大正時代、甘い食べ物は、今と違い凄くご馳走的だったようで、月に一度、お饅頭を食べるのが何よりもご馳走だったそうです。こんなに甘いものを食べて、幸せになれるのなら、自分もこの仕事で、沢山の人を幸せにしたい!って思い、お菓子屋さんに修行に行こうとしましたが、当時ブームで中々修行先が見つからなかったみたいです。
地元に帰ったら、そこが餡子屋の発祥の地だった。
餡子屋さんの発祥の地が静岡県の興津という場所にある。卯之助の実家から、今の車で30分ぐらい行った場所にあり、そこに住み込みで、餡子屋の修行をすることになりました。余談ですが、(その地域は、深澤か望月と言う名前がほとんど。だから餡子屋さんは、深澤、望月と言う名前が多いんですよね。)
何故栃木の地で餡子屋を始めたのかは、二代目に聞いても定かではないが、旧工場跡地で大正14年(1925年)にスタートしました。太平洋戦争の時には、鉄の回収があり、機械を全て持っていかれてしまい、数年間は、アイスキャンデーやラムネ(飲み物)を作っていたこともあったそうです。そんなこんなんで、93年経ちました。
卯之助と言う名の伝承
ボクは5年前まで全く知らなかったのですが、初代の名前 卯之助と言う名を代々伝承しているみたいです。代表交代で世代交代だと思ってたのですが、卯之助の伝承を先代から許されて初めて世代交代になるみたいです。
中身は内緒の話ですが、卯之助が書いた和紙に、卯之助を名乗るものとしての約束ごとが3つあり、いかなる場合もこのことを守ると約束するために、そこに筆で署名します。どんなに新しい時代になっても、変えてはいけないことみたいなことがそこには書いてありました。その筒を開けるのは、4代目に変わる時、二代目がボクにしてくれたように、4代目にすることになるんだ方なぁって思います。業務内容や流通が変わり業界もかなり変わりましたが、代々の卯之助の物事の判断の一部は、今後も受け継がれていくんだろうなぁって思います。後、7年で創業100年、それまでボクが経営者としてやっているかどうか、次の経営者にバトンを渡しているか分かりませんが、初代卯之助の心を大切にしながら時代の流れに乗って創業100年を迎えたいって思います。
社長挨拶
2011年1月14日に、三女琉伊がダウン症という障害を持って生まれた。生まれて、数日たっても、心臓の動脈弁が閉じなく、染色体検査をしたらダウン症候群とのこと。筋肉が弱く5歳まで月に一度は入院。昼は奥さんが付き添い、夜はボクが付きそう。そんな状況になり、家の中がバタバタで会社に行けなかった。今は親父のことで行けない時もある。これって親としての役割、子供としての役割をただ普通にしているだけのことなのに、現実の社会では、やることが難しい時代になっていると思う。
だからこそ、ボクがしてもらったことを、誰もが出来る会社にしたい。社長のボクは、出来ても、一緒に仕事をしているスタッフさん達が出来ないっておかしなことだと思うしね。それに、自分の家族を幸せにしたいってことは、誰もが同じ価値観だと思う。
そのためにやるべきこと。
皆んなが成長しあえること。しっかりと儲けることが大前提だと思う。一人に仕事が偏ってしまったら、偏ってない人は変わりが出来て、偏ってしまっている人が変わりがきかなくなってしまうから。お互いがお互いのことを支えることが出来て初めて成立する事だし、儲かっていなかったら、その間、契約社員やアルバイトを募集出来なくなり、結局、嫌な雰囲気になり、休むことが出来なくなってしまうよね。だからこそ、お互いが支えあえること、しっかりと儲けることが大切なんだよね。これをやり遂げて、初めて、自分の大切な人を大切に出来るとボクは思うんです。
世の中に必要とされる会社になる。
娘のるいがきっかけで始まった障害者の一般就労。きっかけが娘のことだったけど、ボク達が世の中に必要とされる会社になるためにも必要なことだと思う。世の中には、あっても無くてもいい会社、あったら便利な会社、世の中に必要とされる会社の3つしか、存在しないと思うんです。自分達のことを充実させることだけではなく、自分達の仕事を通して、世の中の役に立てたなら、なんか素敵じゃない。そんな風にボクは思うから。
この二つをボクは残りの人生をかけてやっていこうと思う。
皆んな力かしてね。
僕たちが大切にしたいこと
私たちは、「私たちでないといけないことは何か」を考えた。誰にでもできることや、私たちがしなくてもいいこと、他の誰かでもいいことはやめようと。なぜなら、それが弊社の経営理念である「この世の中に必要とされる会社となる」ということだから。
だからこそ、アンパーク設立という、【知的障がい者が納税できる場づくり】、【知的障がい者が共同生活できる場づくり】。この2つのことに力を入れてやっています。それがアンパークなんです。
先輩社員紹介・インタビュー
品質管理課 課長 深澤 千穂
就職活動をはじめた当初の私は地元である群馬県での就職を考えていました。しかし、深澤製餡所の説明会に参加したとき、説明会であることを忘れるくらいの楽しさに、心が震えました。選考を進めていくのに一番の決め手となったのは、人。学生と、面接官という関係でありながら、人生相談のように感情移入しながら私の話を聞いて下さった、採用チームの方。内定をもらってから参加した、現場の方々とのBBQでの楽しそうな様子。この人たちとならやりがいをもって働けると感じました。
今は毎日が変化の連続で、不安になったり、悩んだりすることが山ほどあります。相談に乗ってくれる上司、励ましあえる同期、仕事のこと、人生のことを教えてくれる仲間に支えられていることをとても感じています。周りの人たちがいるから、自分も負けていられないと思えます。もっともっと自分を見つめなおして、本当の自分で、ガチンコでぶつかっていけるような仕事人になりたいです!
製造二課 主任 笹沼 翼
私が深澤製餡所を志望した理由は、経営理念やグランドデザイン、そして「人」にとても強く惹かれたからです。
学生時代の私は、仕事を何のためにするのかをあまり深く考えておらず、漠然とした思いで就職活動をしていました。多くの説明会や選考に行きましたが、ここだっ!という会社は見つからず、不安になっていました。しかし、深澤製餡所の説明会で社長や社員さんがとても活き活きと楽しそうに経営理念やグランドデザインについて語っている姿を見て、一緒に仕事をしたいという気持ちが強く芽生えました。現在は現場であんこの製造、新製品の開発、ISO22000の管理なども行っています。二年目でありながらここまで幅広い仕事を任せてもらえる会社は、なかなか他には無いと思います。楽しい事だけじゃなく、大変な事もたまにありますが家族のような仲間たちと一緒に成長しながら楽しみます!
今後は、より多くのお客様に商品を知っていただけるよう、販売や広告運営について勉強して行きます!