暴れん坊将軍無くして今の餡子はない!!

餡子の話をするときに忘れてはいけないのは、8代将軍徳川吉宗です。

享保の改革により財布のひもをしめすぎて野暮将軍なんてあだ名をつけられたこともありますが、実は「砂糖の国産化」という大仕事を成し遂げ、江戸の庶民にも甘いあんこが食べられるようにしてくれた愛すべき存在だったのです。

紀元前5世紀頃にはインドに存在したといわれている砂糖ですが、長い時を経てやっと奈良時代に唐の国から鑑真によって日本へ伝えられたといわれています。
しかし当初は薬用扱いの珍重品だったため以後約千年にわたり、海外からの輸入に頼っていました。
日本で砂糖がオランダや中国から大々的に輸入されはじまるのは17世紀の初めころで、鎖国体制化の時代です。ちょうど金平糖や有平糖が茶会に登場しはじめた頃です。

砂糖の爆買い!?

当時日本の砂糖の輸入量はとてつもなく多く、とんでもない高値で買っていたといわれています。
量ではなんとイギリスの輸入量の約15倍!価格ではポルトガルの商人が仕入れた中国の砂糖は2倍~4倍、マカオの白砂糖は仕入れ値の10倍~20倍の値段にしても売れていたといいます。当時のヨーロッパでも、モンテスキューの著書『法の精神』において「日本は尋常でない高値で砂糖を買っている」と書かれるほど。
しかし日本の資金源である国産の銀が底をつき、寛文8年(1668年)幕府は銀の輸出を禁止しました。
砂糖がほしい、しかし資金もない!ということで砂糖を国産化しようと動き始めたのが徳川吉宗だったのです。幕府の奨励のもと、平賀源内をはじめ各地の本草学者や医師などがさとうきびの栽培と、和製砂糖の製品化に奔走しました。和三盆糖の誕生もこの頃で、一番の快挙ではないでしょうか?!

そして、輸入砂糖、琉球・奄美の黒砂糖、和製の砂糖により幕府は潤い、江戸時代後期には菓子文化の発達とともに、甘いあんこが庶民の間に爆発的に広まることとなったのです。

かなりの倹約家だったといわれている吉宗ですが、毒殺の危険があるため献上品などは普通は食べない外様大名からの献上品に手を付けたり、紀伊藩主時代の参勤交代で食べた駿河の安倍川餅が忘れられず臣下が毎年駿河のもち米を取り寄せて献上した、なんて話も残っています。

暴れん坊将軍も甘いものには目がない?!
吉宗が甘いもの好きだったとすれば、砂糖の国産化に力を入れた事にも納得です!

書いている人

深沢 貴之
深沢 貴之
職業「三代目 卯之助」/深澤製餡所 代表/サプリパーク代表/自分達がつくったもので、ホッとしたひとときや元気になるきっかけを感じてもらえたら嬉しいな/好きな食べ物 ちくわ 特にちくわ天/日本ちくわ天協会会長/フロリダちくわ天部部員/趣味 スキューバダイビング ・きっとゴルフ/エクスマ80期/フロリダ族  

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