なぜ餡子屋の三代目になったのか。

なぜ餡子屋の三代目になったのか。

詳しいプロフィールを書いていて、なんでボクが餡子屋さんの三代目をやろうって、どんな想いで決断したのか、それは母の後姿をみて育ってきたかです。

ボクの人生において、一番生き方で影響をしているのが母の生き方です。ボクは5歳まで静岡県静岡市中河内という山と川の中で育ち、ずっと母の着ていたブラウスを持ち歩き、寂しくなると、そのブラウスの匂いを嗅いでました。変態じゃないからね。寂しさからですよ(笑)じいちゃん、ばあちゃんに育ててもらい、小さな頃からかかとをつかないで、チョロチョロしていたそうですよ。山に山菜を採りに行ったり、川に魚を釣りに行ったり、沢にサワガニ採りに行ったりと野山を駆け巡っていました。今からでは、想像できないですよね!(笑)

自宅前通り(Googleマップ使用)

自分が作ったもので、喜んでもらうことが好きだった母。

朝早くから現場に入り、力仕事をしていたり、お昼前になるとスタッフさん達に食事の用意、夕方になるとオヤジのアテの準備とボク達の食事の用意、そして、皆んなが寝静まってから、残っている餡子をダンボールに入れる仕事。ずっと働きっぱなしなのに、休日になると、実家から、たけのこの時期には、送られてきたたけのこを大きな鍋で煮て、近所に配ったり、オヤジの友人に配ったり、スタッフさん達に配ったり、日曜日なんだからゆっくりすればいいのにと母に言うと、いつも笑顔で、「貴之、皆んなが喜んでくれることをすることが、一番楽しいことだよ」って言うことが口癖でした。それに、「自分の作った料理で、皆んなが喜んでくれるって嬉しいしね。」それに、色々また作りたくまちゃうのよね。だからボクも自分の作った何かで、人が喜んでくれたら、ホッとしたひと時を感じてくれたらいいなあって。だから沢山美味しいと言われるものを食べて、しっかりと味の知識を増やし、自分達がつくる餡子やサプリメントの味に役立てたいなぁって沢山食べてます。どんなにお客様の役に立てようとも、どんなに他社で出来ない商品でも、食べ物が不味かったり、食べる度にブレブレだと、何の意味もない。本質は美味しいこと。まずはそこが肝心なことだもんね。そして、美味しいものを食べた時に、やっぱり嬉しくなるし、楽しくなるからね。

母と二人だけの始めての食事

 

書いている人

深沢 貴之
深沢 貴之
職業「三代目 卯之助」/深澤製餡所 代表/サプリパーク代表/自分達がつくったもので、ホッとしたひとときや元気になるきっかけを感じてもらえたら嬉しいな/好きな食べ物 ちくわ 特にちくわ天/日本ちくわ天協会会長/フロリダちくわ天部部員/趣味 スキューバダイビング ・きっとゴルフ/エクスマ80期/フロリダ族  

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